那賀都神社について

当神社は大自然に囲まれた古い歴史を持つ神社で
「二十一世紀に残したい名所一〇〇選」
(平成十三年二月十四日 山梨日日新聞掲載)に
選ばれました。

大嶽山の麓から社殿までは徒歩で二十分程あり

道中は渓流の瀬音と鳥の囀り、
目の前に広がる山々の木々が

日常の雑念を忘れさせてくれます。

御祭神

御祭神

■大山祇神(おおやまつみのかみ)
霊峰富士の神 木花開耶姫の父神に坐し開運福徳の神と尊崇する

■大雷神(おおいかずちのかみ)
稲妻が稲を孕ませ五穀豊穣の御利益があるとされる

■高龗神(たかおかみのかみ)
水神信仰と知られるが、当社では薬仙の神と崇める

総じて家内安全・商売繁盛・病気平癒・方位厄除・開運福徳・学業成就・願望成就・交通安全等が多く、家族共々累代に亘る崇敬が厚い

由緒

人皇十二代景行天皇の御代、日本武尊東夷御征定の砌、甲武信の国境を越えさせ給う時神助を蒙り、神恩奉謝の印として国司ヶ岳の天狗尾根(2,159M)に佩剣を留め置き三神を斎き祀る。(現・奥宮)

第四十代天武天皇の御代、役行者小角当山(現・社地)の霊験なるを以て修験道場として開山、不思議にも昼夜連日鳴動して止まず、以来当山を「大嶽山鳴渡ヶ崎」と呼ぶ。第四十四代元正天皇養老元丁巳年(717年)三月十八日奥宮より勧請す。

天平七年行基、観世音像(昭和二十五年流失)を刻し、『赤の浦 鳴渡ヶ崎に那留神のみゐづや高く 那賀都とは祈る』との神歌を奉じ、是より当社を「那賀都神社」と称したと伝えられる。又、養老元年最澄、天長八年空海相次いで来たり、清浄ヶ滝・座禅岩、下流川浦に絵書石等の行跡を残す。

江戸初期大破に及ぶ事有り小祠となるが、元文五庚申年再建の為、羽黒派修験東叡山支配となり社殿残らず建立す。

今の本殿は嘉永三年着工、明治十年竣工、他社殿神楽殿は同三十五年(流失昭和三十六年復興)・随神門同三十七年竣工、何れも甲府三日町の名医 喜多島宗甫氏の奉納。

彫刻は都留市谷村の名匠 福田俊秀氏が当社に半生を篭もり手掛けた秀作。拝殿は同四十三年再建。

明治六年村社に列せられ、昭和五十七年本殿が旧三富村文化財に指定。

ご挨拶

宮司 日原 盛幸

当社は、大嶽山那賀都神社と称します。山梨県の東北端、長野・埼玉の県境に位置し、急峻な山に囲まれた神社です。

御祭神は大山祇命・大雷命・高龗命の三柱か祀られており、御鎮座以来千三百年に亘る悠久の時を重ねております。(因みに、大山祇命は富士山は浅間神社の御祭神、木花開耶姫命のお父様にあたります)
修験道の祖役行者小角が「霊峰富士開山前の修行の場として定めた霊場」と伝わるだけに、今日でも地理的条件やアクセスは悪く、駐車場から1キロの参道を歩かなければなりません。
それでも、県内外から霊験あらたかな神様として、多くの皆様に参拝いただいております事に、常々敬意と感謝を抱いているところです。

ご高承の通り神道は、私達の遠い祖先が、四季に恵まれた豊かな自然を、愛し・敬い・感謝し、そして教えを受けて来た、寛容で奥の深い精神文化です。
神道については、戦後教育の中で触れられなかった事は残念に思いますが、近年は「神社が大好きな人」が増えており嬉しく思っています。神社は全国に約8万社在りますから、何時でも何処でも容易に親しむことが出来ます。
どうぞ、お気軽にご参拝いただきたく願っております。

扨 前記の通り当社へのお参りは大変ですが、四季ごとに趣が深く、溪谷の瀬音、鳥の囀り、豊かな自然とおいしい空気が満喫出来る癒しゾーンとなっています。どうぞいつの日か、心からなるご参拝をお待ちしております。